人事は『シン・ゴジラ』が教えてくれる

2018年10月19日

Works誌150号の連載「人事は映画が教えてくれる」で取り上げた『シン・ゴジラ』を題材に、連載のナビゲーターである野田稔氏、カゴメの有沢正人氏、東宝の枇榔浩史氏による座談会を開催。人事が参考にできる同作の見所を語り合う。

『シン・ゴジラ』2016年7 月公開
脚本・編集・総監督 庵野秀明
監督・特技監督 樋口真嗣
キャスト 長谷川博己、竹野内豊ほか

【あらすじ】 東京湾で突然、水蒸気爆発が起こった。前例がない原因不明の事態に政府は対応を急ぐが、議論は迷走し、判断は後手に回る。当初、内閣官房副長官の矢口蘭堂(長谷川博己)だけが、未知の海底生物の可能性を指摘するが、常識外の意見としてあっさり否定される。しかし、テレビ画面に巨大生物の尻尾が映された。首相補佐官・赤坂秀樹(竹野内豊)は「矢口の冗談が現実になってしまっては認めざるを得ないか......」と呟き、第2形態に進化したゴジラは東京・蒲田に上陸。東京はパニックに陥る。

写真左: 枇榔(びろう)浩史氏 東宝取締役 人事担当補佐 兼 人事部長写真左: 枇榔(びろう)浩史氏 東宝取締役 人事担当補佐 兼 人事部長
写真中央: 野田 稔氏(Works誌連載「人事は映画が教えてくれる」ナビゲーター) 明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科 教授 リクルートワークス研究所特任研究顧問
写真右:有沢 正人氏 カゴメ常務執行役員 CHO(最高人事責任者)

危機において求められる異能・異才の人材が集まるチーム

野田 本日は人事のプロであり、大の映画ファンでもある、有沢さん、枇榔さんにご参加いただいて、『シン・ゴジラ』に見る人事・組織について大いに語り合いたいと思います。枇榔さんは同作の製作・配給元である東宝の方ですから、そのお立場からのお話もぜひお伺いできれば。まず、有沢さんはどんな点に注目されましたか。

有沢 この映画は人事関係者同士で話題にすることも多いんです。いろいろな切り口がありますが、1つにはチームマネジメントという点で重要な示唆がある映画ですね。危機においてどういうチームが最強なのか、ということが描かれている。そこでポイントとなるのが、ダイバーシティです。

枇榔 内閣官房副長官・矢口蘭堂(長谷川博己)を中心にゴジラに立ち向かう巨大不明生物特設災害対策本部(略称 巨災対)ですね。確かに、オタクや学会の異端児など多様なタレント(才能)が集まっています。

有沢 非常時には平凡な人たちが集まったチームでは何もできません。むしろ、普段は扱いづらい異能・異才といわれる人たちが集まったほうがクライシスマネジメントには適していると私は常々考えていて、この映画ではまさにそれがわかりやすく描かれているんです。

野田 非常時にははみ出し者が力を発揮するというのは、決して映画のなかだけの話ではありませんからね。その際に重要になるのがまとめ役です。

有沢 そうなんです。矢口のまとめ方は、管理的ではなく、みんなに自由に議論をさせます。あえて異なった意見をいくつも出させることによって、議論をうまく発展させていく。矢口のような人材がうちにいたら、ぜひプロジェクトマネジャーになってほしいですね。彼のリーダーシップは「個のリーダーシップ」。リーダー対集団の関係ではなく、リーダーとメンバー一人ひとりとの間に関係性が構築されているんです。

野田 ダイバーシティマネジメントの重要なポイントですね。対照的なのが、映画の前半に繰り返される政府上層部の会議シーン。あそこには多様性はなく、完全に少数者の影響で議論が進んでいきます。官房長官(柄本明)が「結論を急ぎましょう」という象徴的なセリフを言っていますが、これは非常時においては一番のタブー。拙速な結論に至ってしまいますから。

枇榔 前半の上層部の会議と、後半の巨災対を照らし合わせて観ると、非常時に求められるチーム像が浮き彫りになりますね。そこが非常にうまい。

野田 大臣たちの迷走ぶりとは反対に、巨災対のメンバーは、何が自分の役割で何がチームの目的なのかをしっかり理解しているんです。

有沢 目的を共有しているからこそ、大激論をして不協和が生じても議論が一点に収束していく。そのときにこそチームにものすごいパワーが生まれるんです。

枇榔 ゴジラの秘密の鍵を握る重要人物である牧悟郎元教授が残した化学式を、巨災対のメンバーがそれぞれのひらめきを結集させて解明するシーンが象徴的ですよね。

事件は会議室で起きている!? 大臣たちの議論が反面教師に

野田 それにしても『シン・ゴジラ』は会議シーンが非常に多い映画ですね。

枇榔 確かにゴジラが出てこない時間が長いです。ゴジラが大暴れするのを見に来たお子さんは退屈するかもしれません(笑)。

野田 でも、だからこそ大人にはおもしろい。「事件は会議室で起きてるんじゃない」という有名なセリフがありますが、実は、事件は会議室で起きているんです。会議での意思決定が現実に重大な影響を及ぼすわけですから。

枇榔 会議というのは映画の題材としても魅力がありますね。

野田 しかし、『シン・ゴジラ』は、怪獣映画を会議シーン中心で作るという発想がすごい。私が東宝の社外取締役か何かだったら、この仕上がりを想像できずに、企画書を見た段階でダメ出しをしたかもしれない(苦笑)。

枇榔 この映画は総監督の庵野秀明さんに任せて自由に作ってもらったのですが、庵野さん自身は大きな会社組織に属した経歴はないんです。

野田 いったいどうやって人事も唸らせるこのテーマを着想できたんでしょうね。前半の会議シーンも、日本の組織人にとっては反面教師としていい教材になります。自衛隊が第2形態に進化したゴジラを攻撃するかどうかを迷い、結局やめるシーンは観ていて大河内総理(大杉漣)が気の毒になりました。

有沢 総理が思わず「今決めるのか?」と口走るシーンですね。第3形態、第4形態に進化する前のあの段階で攻撃していたら、ひょっとしたらゴジラを倒せたかもしれない。

野田 あの会議で大臣たちは代替案を示すことなく、総理に対して暗に「攻撃する」という選択を迫っている。各々の発言は、代替案どころか単なる責任逃れなんです。「攻撃したらどんな問題が起きるか私は言いましたからね。でも、攻撃するしかありませんよ」と言っているようなものなんです。

有沢 あれは汚いですよね。

野田 しかし、悲しいかな、日本の会議ではよく見られる光景です。

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その道の専門家「オタク」は今やリスペクトの対象

野田 ゴジラ襲来ほどの大事件ではなくても、日本企業は劇的な環境変化にさらされているわけです。危機的状況に対応するためにも、また、イノベーションを起こすためにも異能の人材を積極的に登用しなければならないと思うのですが、これくらい日本の組織が苦手としていることはないですよね。採用の時点で弾いちゃうじゃないですか。

有沢 エントリーシートの段階で、「違うな」という人材は外されてしまう。この時代においても、日本の組織はホモジニアス(同質的)な人材を求めてしまいがちです。

野田 いかに、巨災対のようにバラエティに富んだ人材を集めることができるかというのは大きな課題ですよね。

有沢 もっと異能・異才に注目する視点をもったほうがいいですね。「オタク」というのは、昔はネガティブにとらえられていましたが、今やリスペクトの対象でしょう。彼らはそれぞれにその道の専門家なわけですから。コミケ(コミックマーケット。毎年夏冬の2回東京ビッグサイトで開催される、世界最大の同人誌即売会)に集まるオタクたちはそれこそ異能の集団ですよ。

野田 異なる分野のオタクが集まった組織は、それぞれ専門分野が違うからお互いを一つのモノサシで比べようがない。比較するのではなく、認め合い、リスペクトし合う関係が生まれます。これが理想ですね。

枇榔 巨災対がチームとしてうまく機能したのも、そのお互いに対するリスペクトがあったからこそです。彼らは地位や肩書きで相手を上に見たり下に見たりせず、相手の専門性をしっかりと認めていますから。

野田 日本の一般的な組織でも、「お互いをリスペクトすることが大切だ」と口では言いますが、実は言うほどリスペクトはしていないように思えます。

有沢 日本の同質性の高い組織で生まれるのは、リスペクトというより「仲間意識」ですね。

1つの意思決定に固執せず、最良の選択をし続ける里見臨時総理

野田 再上陸したゴジラが東京駅で動きを止めますよね。あの意味はどうとらえていますか。

有沢 そこは非常に重要なポイントです。過去の作品でもゴジラが止まるシーンなんてありませんでしたから。あれによって人間たちには考える時間が与えられたわけです。「さて、おまえたちはこの状況でどのような意思決定をするんだ?」と。

野田 アメリカは核攻撃を主張し、巨災対はゴジラを凍結する作戦を模索する。そこで秀逸なのが、里見臨時総理(平泉成)の意思決定です。

枇榔 一見すると無能なリーダーのように描かれていますが、実は違う。

野田 里見臨時総理は、多国籍軍による核攻撃容認を総理に全権委任する特別立法を指示しますよね。

有沢 日本の総理にとってはものすごい決断です。

野田 完全に自分が責任を取る覚悟を決めているからこそできる意思決定ですね。かつ里見は1つの意思決定に固執しない。責任を取りながら最良の選択をし続けることができるんです。これこそが政治であり、里見のようなリーダーこそが最良の意思決定者だと思います。

有沢 だから、ゴジラを凍結するヤシオリ作戦に目処が立ったら、フランスに頭を下げ、核攻撃までの時間稼ぎをすることもできたんですね。里見は「こうしろ」とは絶対に言わない。部下にデレゲーション(権限委譲)するんです。でも、最後の最後には自分が責任を取る。

野田 里見のリーダーとしての深さには学ぶべきところがあります。あの昼行灯のようなキャラクターにも意味があるんです。危機においては、リーダー自身がパニックに陥ったら終わりですから。

映画ファンも人事も政治家も楽しめる『シン・ゴジラ』

野田 私は映画が好きで、映画からいろいろなことを教わってきて、だからこそ映画にモノが言いたい。これからもそれは続けていきたいと思っています。その意味で、これだけいろいろなことを語り合える『シン・ゴジラ』はたまらない作品ですね。

有沢 映画って「非日常のなかの日常」であり、「日常のなかの非日常」なんですよね。『シン・ゴジラ』はそのバランスがすばらしい。異空間を描きながらもリアリティを追求しているから、こうして人事・組織という切り口で語り合うこともできるんです。また、シンボリックな要素がちりばめられているから、映画ファンとしてもその一つひとつに想像を膨らませることができる。ラストの尻尾のアップが何を意味するのかというお題で、いくらでも話せますから(笑)。多様な見方ができるいい映画です。

枇榔 政治家の方々には、クライシスマネジメントの教材として観ていただいていますしね。ありがたいことです。

有沢 庵野ファンとしては『エヴァンゲリオン』へのオマージュを発見するのも楽しいですよね。

枇榔 私はこの作品から、長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』(1979年公開)へのオマージュを感じるんです。

野田 沢田研二が理科の教師役で、原子爆弾を自宅で開発する映画ですね。ゴジラと原爆......、通じるものはありますね。

枇榔 『シン・ゴジラ』では、矢口が北の丸公園の科学技術館で作戦の指揮をしますが、『太陽を盗んだ男』で沢田研二と菅原文太が原子爆弾を奪い合うのも科学技術館の屋上。庵野さんは『エヴァンゲリオン』でも『太陽を盗んだ男』で流れていた曲を使っていましたから、好きなんだろうなとは思っていましたけど、何で『シン・ゴジラ』で『太陽を盗んだ男』なのかというと、もう1つ隠れた接点があるんです。

野田 何ですか?

枇榔 長谷川和彦監督のニックネームが「ゴジ」(ゴジラ)なんですよ。

野田有沢 おお!

枇榔 最後は人事と関係ない話になってしまいました(笑)。