株式会社東京個別指導学院 取締役 井上久子氏(中編)
4)消去法での役員デビュー
関西への進出も1998年に開始し、東京個別指導学院は新しいステージに入る。井上氏は入社4年目の1999年には神奈川県事業部長、2001年には首都圏事業部長となった。
翌2002年10月には事業本部長に、同年11月には取締役に就任する。しかし、そこに至るにはちょっとした経緯があった。
そのころは、辞める社員が少なくない時期だった。それは事業に対する社長の厳しさと無関係ではなく、社長自身も社内に変化が必要と考えていた。それまで、すべての事業部を束ねる事業本部長は社長が兼任してきたが、その事業本部長ポストを社員に任せるという。
誰がポストを引き継ぐのか、その決定は社員に委ねられた。常に社員自身が「考える」ことを求めてきた社長は、「給料をいくらにするかは自分で決めるべき」という方針を貫いていた。今回も、事業本部長を誰にするのか、組織をどうするのか「考えろ」と言い渡した。
「それから3日間は、当時の役員や事業部長たちと夜中の2時、3時まで話し合いました。でも、誰もやるとはいわないのです。これはもうずっと決まらないなって思い、『じゃあ、私がやる』ということになってしまったのです。」
候補者が一人、また一人と辞退して、最後まで辞退しなかったのが井上氏だった。半ば消去法的に井上氏の事業部長就任は決定されたかたちとなった。しかし、そのとき井上氏はかつての社長との激論を思い出していた。教室拡大のスピードに異議を唱えた当時の井上氏に社長はこう言った。「評論家のような社員はいらない」。
教室の生徒に対してだけでなく、社員に対しても、課題を見つけたら自分の力で解決できる人間であって欲しい、できなければ仲間と協力して道を見いだせと言い続けてきた社長の想いは、井上氏の覚悟を後押ししていた。
「社長に『ようやく決まりました、力不足ながら私が事業本部長を社長から引き継ぎます』と報告すると、その日の夕方には当時の役員の方と社長から呼ばれて『それなら役員になるべきだろう』と言われました。思いもよらないことで、『夫に相談しなくては』と返事をしたことを覚えています」
井上氏の報告に、社長は質問もせず異議も唱えなかった。3日にわたる深夜までの議論を終え、ようやく結論の出た翌日に出社した時にはもうプレスリリースが出ていた。社会人デビューのドタバタにも負けない井上氏の経営者としてのデビューであった。
5)経営者としてのマルチプレー
当時も今も東京個別指導学院の事業は、生徒一人ひとりに合わせた「オーダーメイドの個別指導」である。その同社で事業本部長を担うということは、同社における事業、つまり現在の売り上げと未来の計画の総責任者になるということだ。成長企業の経営者の一員として、文字通り休む間もなく働く日々を井上氏はこう振り返っている。
「弊社は単一事業で、本社以外は215拠点の教室(2014年9月1日現在)から成り立っていますが、当時営業も人事も、戦略的なことは全て事業部で兼務していました。今では普通の会社のような部門はありますが、当時はそれを作っていく途中でした。そういうわけで、とにかく働きました。今やったら倒れますね。若かったなと思います」
井上氏が役員となった翌年、急成長を続ける組織には深刻な問題が起きていた。人財不足が本格化したのである。井上氏は経営者として組織の総合的な問題解決をはかるべく、2007年には人財本部長となり、更なる試練を引き受けることになった。当時から変わらぬ人に対する気持ちを井上氏はこのように語っている。
「(教える)コンテンツも重要ですが、東京個別指導学院の宝は“人財”です。これだけ分散した拠点で、どこでも同じ高いレベルのサービスを提供するには“人財”が大切になります。どんなにすぐれた仕組みやコンテンツがあっても、顔を合わせて『こんにちは』といった瞬間に『嫌だな』と思われるとすべてが終わってしまいます」
人財本部長の業務は多岐にわたった。人財を採用し、育成していく。当時特に深刻だったのはリテンションであった。会社の体制が変化していたことも重なり、辞めていく人が増えていた。同社のリテンションは、単に辞めそうな人を引き止めることではなかった。そこには、東京個別指導学院としての思想があり、そのことは井上氏のミッションを難しいものにした。しかし同時に、今日に至る井上氏の人財観をより強固にすることになる。
「創業者からは、教育産業なので退職希望者に関しては、すぐに“退職させていい人物”と“退職させてはいけない人物”がいると言われていました。これは能力で分けているのではありません。『今うちの仕事が辛くて逃げようとしている社員を絶対逃がすな』『そういう人はどこに行っても逃げる。東京個別指導の仲間になったからには、なんとかうちで一つでも成功体験を積めるように』と言われていました」
東京個別指導学院が掲げる3つの理念は、単に3つが並立しているのではなく、それぞれが相互に関係を持っている。“信じ、励まし、褒める”指導により、生徒は成功体験を重ね、「やればできるという自信」を持ち、更に大きな目標へ「チャレンジする喜び」を感じ、そして「夢を持つことの大切さ」を実感する。
井上氏は、仕事に向き合う態度を見れば、その社員が一つ目の理念を突破できているかどうかがわかるという。できていないのなら、仕事を通じてきちんと突破させたうえで、“卒業”させる。退職ではなく卒業なのである。教育産業の会社が、子どもたちを相手にできることが、自社の社員に対してできないはずはない。社長から説かれた理念は、いつしか井上氏自身の言葉になり、彼女の人財観の礎となっていた。
「教室の仕事が終わる夜11時ごろから『逃げようとしている』人と向き合ってじっくり話をすることも度々ありました。現場のプレイヤーでできない仕事やあふれてくる仕事は、全部私がやることになるので、退職管理、採用、労務、それに内部統制も担当していました」
(後編に続く)
TEXT=森裕子・白石久喜 PHOTO=刑部友康
プロフィール
井上久子
略歴:大学卒業後、一時的に教職として勤務
1995年 東京個別指導学院入社
1999年 神奈川県事業部長就任
2001年 首都圏事業部長就任
2002年 事業本部長就任
同年11月 取締役就任
2005年 取締役事業本部長
2006年 代表取締役副社長就任
2007年 人財本部長(兼任)
2010年 取締役 事業基盤本部長
2012年 取締役 コンプライアンス担当
2012年 取締役 経営企画部長
2012年 神奈川事業部長(兼任)
2013年 取締役 経営企画本部長
2014年1月 取締役 人財開発本部長(現任)
同年5月 取締役副社長(現任)