コロナ禍、レジリエンスを高めた企業の挑戦 ANAグループ
グループ外出向という「他流試合」が、自律した働き方を促した
コロナ禍に対処するため、多くの企業が働き方の変革を迫られるようになった。最も大きな変化はテレワークの普及といえるが、対面での業務が不可欠である業種の場合、オンライン化だけでは対応しきれないケースもある。しかしながら、こうした業種の中でも、従業員の雇用を守るために新しい取り組みを始めたことで「不測の事態に対応する力=レジリエンス」を高める企業が現れた。先進的な事例として、全日本空輸を中心としたANAグループ(ANA)の挑戦を紹介する。
ANAはコロナ禍で旅客者数が激減し、業績も急降下した。危機的状況の中で従業員の雇用を確保するため、いわば「苦肉の策」として始まったのが、グループ外企業への出向だ。しかし全く違う環境での「他流試合」を通じて、社員たちが得たものも大きかったという。グループを統括するANAホールディングス(ANA HD)の人事担当上席執行役員、直木敬陽氏に聞いた。
経営トップの姿勢が出向者の安心に
2020年からの緊急事態宣言発令や出入国の制限で、同社の2021年3月期の旅客数は前年度比70%減、国際線に至っては96%減と、まさに「需要が蒸発した」(直木氏)状態に。売上高も2020年3月期の2兆円弱から7286億円へ、経常利益は4513億円の赤字に転落し「飛行機を飛ばしても、燃料費などのコストがかさんで赤字がどんどん膨らんでいった」(直木氏)。
こうした事態の中、ANA HDの片野坂真哉社長(肩書は当時、現ANA HD会長)は2020年3月以降、15回にわたり全社員に以下のようなメッセージを発信した。
「皆さんの雇用は守ります。ただ賃金は我慢してほしい。いったん小さな会社になって、社員の力で夜明けを近づけよう。1円でもコストを下げて1円でも稼ごう」
従業員の一時帰休や希望退職者の募集、パイロットなど一部職種を除いた新卒採用の停止、賃金カット、ボーナス支給見合わせとあらゆる手を尽くした。その中で2020年の秋頃から、グループ外企業への出向が始まった。
片野坂社長は、出向者を送り出すオンラインの発令式に毎回出席した。出向社員へは感謝の言葉とともに、次のように語った。
「出向先へ行ったら、大きな声で明るく元気にあいさつしましょう。背伸びしようと思わず、自信をもって伸び伸びと素のあなたをみせてください。そして、必ずANAに戻ってきてください」
直木氏は「トップが『雇用を守る』と言い続けたこと、出向社員を全面的にサポートするという姿勢を示したことは、社員がグループ外出向を受け入れるのに、非常に大きな役割を果たしたと思います」と語る。
CAがデスクワーク 出向先でおもてなし伝授も
ANAグループの社員4万6000人のうち、これまでに出向者は累計2080人に上り、2022年4月時点で725人が出向中だ。出向先は自治体が100、民間企業が200社ほどで、業種も流通業や金融など多岐にわたる。直木氏は出向を「他流試合」にたとえる。
「今までとは違う職場で、自らのキャリアの展望を開いたり、あるいはANAの良さを再確認したりと、何かしら新しいものを得て帰ってきてほしいのです」
客室乗務員(CA)も累計約750人以上が社外に出ており、7割は公募で自ら手を挙げた。
「彼女らの多くは度胸があり、訓練を受けて鍛えられてもいる。慣れないパソコンを使ったデスクワークなどにも、果敢に取り組んでいます」
中には「出向先にANAブランドを売り込もう」と、CAの経験を生かして「おもてなし」の仕方を伝えたり、ANAが導入するチームビルディングの手法を伝えたりする人も。逆にANAに戻ってから同僚たちへ、出向先で得た学びを伝える社員も出てきたという。
「社外に出て初めて『自律して動く』とはどんなことかを考え、自らの意思で行動に移すようになった。こうした出向者の変化は、人事にとっても想定外でした」
ただ、自ら手を挙げたのではなく指名されて出向する従業員の中には「なぜ私が選ばれたのか」などと、割り切れない思いを抱く人もいる。こうした社員には、人事や出向元のグループ各社から定期的にメッセージを送るなどして「悩みに寄り添い、フォローする体制をとっている」と直木氏は説明する。
出向を機にキャリア転換 人事制度も整備
出向経験者の一部は、元の職場に戻ってから「外で学んだことを仕事に生かしたい」「CAだったが、総合職や企画の仕事をしてみたい」と、キャリアチェンジを志望するようになった。このためANAは今年4月、他職種への職種転換制度やグループ内転籍制度を拡充し、若いうちから自律的なキャリア開発に取り組めるようにした。この結果、グループ社員300人が手を挙げ、うち100人がグループ内の別会社に転籍した。
「人事もこの2年間で、急激な変化に対応し、社員のニーズを迅速に制度に落とし込むことを学びました」と、直木氏は言う。
また出向者だけでなく社内からも、自発的な取り組みが生まれ始めた。システム開発の担当者が、外注していた仕事を自分でこなすようになったり、外部講師による研修がなくなったため、各部署が自前の研修を作ったりするようになったのだ。グループ会社の社員たちも、未稼働の航空機の活用策などを提案し始め、これまでに機内食の通信販売や、航空機をレストランや結婚式場に転用するといった案が実現した。
余暇時間を活用し、新たなスキルや知識を得ようとする社員も現れた。同社はコロナ禍での時限措置として「サバティカル休暇」制度を導入し、理由を問わず最大2年間、無給で会社を休めるようにした。これまでに約300人がこの制度を利用し、ボランティアや自己啓発などに取り組んでいるという。さらに認可要件を緩和したことで、これまでに約5000人が兼業・副業を行うようになった。
職場の中間管理職には、優秀な人材を引き留めたいあまりに、休職や転籍を志望する部下を『わがままな社員』と捉える向きもあった。しかし直木氏は「これからのマネジメントで必要なのは、管理ではなく個人の能力とキャリアをサポートすること。管理職の認識も少しずつ変わってきたと思います」と語った。
修羅場が人を育てる 褒める風土も素地に
直木氏によると、ANAにはコロナ禍以前から、経営トップと現場社員が話す「ダイレクトトーク」を定期的に開くなど、社員が声を上げやすい素地を作っていたという。
社員同士がお互いを褒め合い、感謝の意思を伝える「Good Jobプログラム」も2001年から続けており、2021年度は100万件を超える「感謝」のメッセージが発信された。
「自ら発言し行動した人をポジティブに評価するのは、ANAの良い企業文化といえます。社員は周りから肯定されることで自律的、自発的に動けるようになり、ひいては生産性も高まるのです」
毎年ANAグループ全体で実施している従業員満足度調査の平均点も、2019年度の3.8から2020年度は3.9に上昇した。「困難に対応した経験が、社員のエンゲージメントを高めた可能性もある」と、直木氏は指摘する。
一方で、課題も残されている。業績不振や賃金カット、一時金の支給停止などが響き、20代~30代の離職者が増えていることだ。
「今は待遇面で報いることが難しい分、キャリアの充実や能力開発で、若い世代の働きに応えようとしています」
ただ若手不足を補うため、40代後半~50代の活躍の場が広がり意欲も高まるという「意外な成果」も。ANAはこうしたミドル・シニア層に報い、さらなる活躍を促すための制度の検討も再開した。
直木氏はこの2年間の取り組みを通じて感じたことを、つぎのように話した。
「自分も含めて社員一人ひとりが本気で『自分に何ができるか』を考えるようになり、力がついたと実感しています。社員は『修羅場』を経験することで、成果をつかみとっていくのだということもよくわかりました」
ANAの事例からは、トップが繰り返しメッセージを発信すること、普段から風通しの良い組織を作っておくことの重要性が読みとれる。そうすることで従業員が、悩みつつも自発的に考えて行動できるようになり、結果として企業にも危機を乗り切る推進力が生まれるのだ。
執筆:有馬知子