株式会社時之栖 代表取締役会長 庄司 清和氏

シニアのタレントが集う「時之栖」70代、80代が現役で第一線に立つ

2018年05月14日

現役最高齢は83歳。修理の依頼が殺到

年間約180万人の観光客が訪れる「御殿場高原 時之栖(ときのすみか)」。約10万坪の広大な敷地に複数のホテル、温泉施設、レストラン、サッカー場(23面)、美術館などが点在する"大人のためのテーマパーク"だ。経営主体は傘下にホテル13カ所、日帰り温泉11カ所、高速道路のサービスエリアなど34カ所の施設を展開する株式会社時之栖。創業者の代表取締役会長庄司清和氏は「時之栖」のコンセプトをこう説明する。
「目指しているのは都会のテーマパークとは対極の空間です。"時"とは四季のことで、"時之栖"は自然の変化に富み、旬の料理や地ビール、温泉が楽しめるやすらぎの場所という意味です。人生の大切な時間をお過ごしいただく場所として、ゆっくりとくつろいでいただける空間づくりを心がけています」。

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「時之栖」の運営、サービスを支えるのが多くのシニア人材だ。従業員は約1300人(正社員は約500人)で平均年齢は48歳。70歳代が85人在籍し、80歳代も現役で活躍中だ。現役最高齢者は83歳で元大工の山本一一(かずいち)さん。施工の腕を活かして園内の施設の整備を担当する。
「ふだんは園内の傷んだ箇所の修理をしてもらっています。ここでは室内、屋外に木造建築を多用しているので、各施設から修理の依頼が殺到しています」(庄司会長)。

継続を希望すれば年齢の上限なし。給与は原則的に現状維持

item_100years_04_04_02.jpg地ビールが楽しめるレストラン「グランテーブル」

就業規則上は「時之栖」の定年は65歳。しかし、定年で退職するケースはまれで、本人が希望すれば基本的に継続して働くことができる。大企業の場合、再雇用にあたり給料が6~7割に減るケースがほとんどだが、時之栖は現状維持を確保する。
「サービス業は人柄が大切。お客様への対応が優れていれば、年齢とは関係なくお客様から評価していただけます。採用する時も笑顔が良くて人柄が良ければ無条件で内定です。60歳を過ぎると給料が上がることはありませんが、基本は現状維持。仕事の質がガクンと下がれば別ですが、そうでなければ下げる理由がありません。積み重ねた経験も実力のうちです」(庄司会長)。

実力主義を基本とする同社は10代の社員も80人以上おり、35歳の女性役員もいる。顧客満足のアップに貢献したり、新たなサービスを形にするなど業績を挙げた人は、年齢にかかわらず支配人などに昇格していく。

一方で多様な働き方にも柔軟な対応をする。伊豆修善寺の「湯治場ほたる」ではマネージャーの女性が60歳を過ぎたのを機に、思い切って週3日営業体制に切り替えた。
「基本的にお客様は土日に集中します。それならば平日休みにして週末のみの営業で採算が合うならそのほうが効率もいいし、従業員も時間が有効活用できます。年齢や状況によって働き方が選べる、時之栖流の"働き方改革"ですね」と庄司会長は説明する。

元監督、料理長などタレントぞろいのシニア人材

item_100years_04_04_03.jpg「時之栖」内の温泉「源泉 茶目湯殿」の露天風呂

「また"たえさん"に会えて良かった」。東京方面から訪れる常連客は大喜びでフロント係の杉山妙子さんにそう声をかける。「時之栖」内の宿泊施設「ブルーベリーロッジ」の"たえさん"は72歳。これが庄司会長の評価する「人柄力」だ。こうした人間的な魅力とともに会長が評価するのがシニアの「ネットワーク」。時之栖にはアジア随一を誇る23面のサッカー場があり、全国からサッカー選手が集う。その縁で全国各地の高校のサッカー部の監督が定年退職後、再就職するケースが少なくない。富士山の5合目にある富士山に一番近い温泉、『須走温泉 天恵』の支配人も静岡県の陸上連盟のOBだ。
「こうしたシニアの人材は人を育てたり、動かしたりするスキルに長けていますし、その人脈でお客様を引っ張って来てくれます。ユーザー時代の経験を活かし、運営面での改善のアイデアも出してくれます」と庄司会長は目を細める。

調理など磨き上げた技も価値が高い。時之栖の和食レストラン「旬膳所 茶目」の料理長 飯村敦さんは趣向を凝らした精進料理に腕を振るい、味にうるさい常連客をうならせる。
「シニアのみなさんはさまざまなジャンルで経験を積んできている。チャンスさえ提供できれば、その実力で誰もが輝けるはずです」(庄司会長)。

「貨幣経済」から「人間経済」への転換を目指せ

item_100years_04_04_04.jpg人気のアトラクション「時之栖 噴水イルミネーション」

「これからの日本は人口も仕事も減っていきます。だから、世の中もすべてお金に換算する『貨幣経済』から、人間らしさを追求するいわば『人間経済』に変わっていくべきだと私は考えています。大手町の高層ビルであくせく暮らすより、のどかな田舎でもっと人間らしく生きたほうがいい。私自身、毎日17時には温泉につかって2時間ほどゆっくりして帰る毎日です」と庄司会長は微笑む。
「時之栖」内の温泉「源泉 茶目湯殿」のリピーターは東京近郊からが半数以上。午前中に着いて、温泉と食事を楽しんで夕方に帰るという日帰り客も多い。

「誰もが心豊かに生きたいと願っているのだと思います。お付き合いのある東京の会計事務所の人にも事務所ごとこちらに移住したらどうかと勧めています。人間はいつかは死にますが、生きて元気なうちは、もう少しあくせくせず日々を楽しんだほうがいい。そう考えるようになりました」(庄司会長)

78歳。なお盛んな起業家精神

時之栖の一角には「禅堂」と「護摩堂」があり、座禅や写経、ヨガなどを体験できる。現在、その隣の敷地に納骨堂の建設が進められている。ドーム状の建物の中に納骨堂を作り、50万円で永代供養する。
「日本では年間130万人が亡くなっていますからお墓も増えていかないといけない。納骨堂からは晴れていれば富士山が一望でき、ここなら遺族の方も足を運ぶきっかけになると思います。当たり前の納骨堂ではつまらないので、お堂の中にメリーゴーランドをつくろうとか突飛なアイデアを出し合っています。今の一番の楽しみは自分が最初にこの中に入って現世の様子をのぞくことです」と庄司会長は笑う。

他にも起業のネタは尽きない。現在はサッカー場の敷地を利用した大規模なフェスティバルを計画中だ。J-POPの大御所アーティストを招聘し、毎年の一大イベントとして定着させたいと考えている。時之栖が若者たちの歓声で沸き立つ日を庄司会長は夢見る。
食品メーカーの米久を一代で築いた後、60歳でサービス産業に戦いの場を移し、次々にホテルなどの施設を買収、再生させてきた。その起業家精神は78歳の今も衰えるところを知らない。
「人は何か生きる目的があると元気になる。朝起きて『今日何をしようか』と考えるようになったら終わりです。人生100年と言われるようになりましたが、目的を持って働き続けることが長い人生を楽しむ秘訣だと思います」。
庄司会長の生きざまそのものが、これからのシニアの理想像を象徴している。

item_100years_04_04_05.jpg眼前に富士山を望む「禅堂」

プロフィール

庄司清和氏

株式会社時之栖 代表取締役会長
庄司 清和氏

略歴:
1965年 静岡市沼津市で食肉加工卸業を創業
1969年 米久株式会社を設立し一部上場企業に育て上げる
1994年 株式会社時之栖を設立、地ビールの醸造を開始
1999年 60歳の時に米久の持株を売却、時之栖の経営に専念
2012年 同社代表取締役会長就任